憲法改正の動きが進んでいることはなんとなく知っている人が多いだろう。ただ、憲法の存在意義や、憲法の内容を知っている人はほとんどいない。無知を良いことに、マスメディアを通したプロパガンダで、知らないうち外堀を埋められてしまうことは、なんとか避けるべきだと思う。全てが正しい情報ではあるとはとてもいえないが、立花隆のコラムは最近どんなコラムよりも読むべき価値を持っているコラムだと思っている。

憲法第9条を死守して「崇高な理想」を貫け
最近新しく出てきた改憲論の中には、環境権、プライバシー権、知る権利など、新しい権利をいろいろ並べ立てて、そういった権利を新しく法的に認知するためにもそれらの権利を入れた新しい憲法を作るべきだとする創憲論、加憲論などの議論がさかんに出てきている。しかし、私はそういった議論はすべて、「オッカムのカミソリ」でスパッと切り落せばすむだけの過剰な改憲論だと思っている。

日本を軍国主義へ導く「普通の国」論の危険性
日本では知る人が少いだろうが、韓国はアメリカの要請に応じて、約30万の戦闘部隊をベトナムに派遣し、約5000名の戦死者を出し、負傷者は10万人をこえた。
(中略)
第9条を捨てたら、日本はいやでもアメリカの大義なき戦争のために血を流さなければならないことになるのである。
(中略)
一般には、あの憲法は、はじめから終りまで、マッカーサーが日本に押し付けたマッカーサー憲法であるというのが、改憲論者の主張だが、堤氏は、憲法第9条だけはちがうという。幣原が、頭をふりしぼった大芝居で、マッカーサーをまんまとはめた「救国のトリック」だったというのだ。

ベトナム戦争のことは、これを読むまで知らなかった。普通の国になること、対等の日米同盟となることのリスクもこれまで考えたことはなかった。そして、9条制定の裏側の解釈も面白い。