というのは、志賀直哉くらいにして欲しいとパリにいる妹を持つ兄のつぶやきなのでした。それと同時に、英語も公用語にというのもビジョン無き政治家に語って欲しくないと思うのですが、一方で英語を話せないと恥ずかしいという風潮が世の中に出来つつあるのも確かではあります。
また、一昔前に(とはいっても自分が大学進学のために上京してきたころ)あった方言を小馬鹿にした風潮がなくなり、方言が文化(?)として見直されつつあるのは良いことかと。余談というか、田舎の母親が持ってきたトマトの苗に緑のトマトは実るけど、色づかないので色々調べて見ると『摘芯』をすべきだとネットに。この摘芯なんて言葉、東京にいたら知らなくても一生過ごすだろうに。言葉というのは、必要だからこそ生まれるものだし、使うものだと。。。