『ソフトウェアを買う行為自体が消滅するかもしれない。』と、昨日紹介した記事の中でも書かれているように、新たなソフトウェア会社のビジネスモデルを考える上でソフトウェアを売る行為そのものが大きなリスク要因になる可能性があるというのをずっと考えてきている。
そもそもソフトウェアは売るものではなく、使った分だけの従量制サービスにするのだとか、どう使うかなどをあわせたサービスで提供するべきだとかという発想はかなり前からもあった。その辺りをユビキタスというキーワードと絡めて紹介している興味深いコラムを見つけたので紹介する。

Life is beautiful: ユビキタス羊[3] ソフトウェアはサービス
私がまだマイクロソフトにいた98年ごろ、私も含めたインターネット最前線にいた人々の口癖は “Software is Service” であった。

そうそう、どこかのマイクロソフトのライバル会社が、ネットワークコンピューターというものを提唱し、「ソフトウェアはサービス」を実践しようとした。結果として、「ソフトウェアをサービス」として実現することは出来なかったが、PCの値段は大幅に下がり、セールスフォースドットコムという副産物まで輩出した。(苦笑)
さらに、

マイクロソフト・オフィスは、98年当時ですでに大半のユーザにとって十分すぎる機能を持っており、新しいバージョンを出しても既存のユーザーがお金を出してまでアップグレードしてくれないという状態にあった。

今、どこのソフトウェア会社のプレゼンテーションを聞いていても機能の説明ばかりだ。最新機能の説明。しかし、それは多くのユーザが望んでいる機能ではなく、ユーザが100年に1度使うか使わないか分からない機能であることがほとんどだ。
しかしながら、ユーザは、バージョンアップに伴う非互換性をどうすることも出来ずに新しいバージョンにお金を払うか、新しいバージョンへのアップグレードを保証してくれるサポートに対してお金を払うかの2つの選択肢しかもちあわせていない。実は、その状態は98年当時から変わっていないということだ。

その状況は、2004年の現在でもいっさい解消しておらず、ユーザーの多くが、古いバージョンのオフィスをパソコンを交換するまで使い続けている。その売り方ゆえに、小まめなアップデートをユーザーに提供する道がなく、プロダクトの進化も2・3年に一度と非常に遅いものとなってしまっている。

なるほど。確かにブラウザの進化もここ最近とまったままだ。
進化のスピードが落ちているのに儲かってるのはビジネスモデルが良いからなのか?それとも進化を必要としないので儲かっているのか?上記コラムでは、ここからユビキタス時代のソフトウェアサービスという観点から結論を導き出しているので、以下、少し話を変えてマイクロソフト社の話にもう少しこだわろうと思う。


懲りないマイクロソフト(o)さんにお叱りを受けたが、マイクロソフト社は年間68億ドル近くの研究開発予算を取っている。しかも、マイクロソフトは『2〜3年にわたる研究成果のうち、5割が製品につながればいい』(これでもかなりの確率だと思うが・・・)とかなり太っ腹だ。国や大学、ほとんどの民間企業が基礎研究を行なわなくなってきている中で、世界最大のソフトウェア会社が研究を続ける姿勢は応援したいと思う。
研究成果がすぐには製品としてユーザに届けることが出来なかったとしても、きっとどこかで役に立つ事があるはずだと思う。ゼロックスの研究開発があったからこそ、アップルやマイクロソフトがあるわけだし。良い研究成果があっても市場に出す方法を考えるのが大きな課題だというのは、このブログの中でも書き続けていることだが、しかし、研究そのものがなくなったら、何もうまれてきやしない。マイクロソフトの姿勢は、そういう意味では評価出来るし、そんな環境を研究者は最大限活用するべきだと思う。