ロースクールの適正試験の追試が11月9日にあるそうだ。日本に帰ってきて何日かこんごのことを考えているときに、何もなければ法科大学院か公認会計士を本気で目指そうと思っていたので、適正試験を申し込んでおいた。といっても、適正試験というにはいうが、どうみても適正をみているとは思えない問題が多々出てくる。(自分に法学という分野の適正がないことも明らかなのだが・・・。それはさておき・・・。)
適正試験は、推論、論理、分析、長文読解などがその試験範囲として含まれているみたいで、論理関連・分析関連は勉強すればなんとかなりそうな問題でもある。長文読解は完全なセンターの現代文でこれを得意にしてる人間であればそこそこ点数は取れるだろう。ただ、本当にこれらの文章は誰が読むのだ?という内容のものが多い。
たとえば、伊藤塾のプレ模試に出た(著作権とか良くわからないのでごめんなさい)ある出題文のある段落をここに書く。
「私の感じでは、批評という形式に容易におさまりがたいものが沸騰し始めるとき、批評家にとって最大の内的危機が生じるといってよい。外在的な批評家ではなく、資質の自覚から批評家となった物にはこれは必ず訪れる危機のようにさえ思われる・・・中略・・・おそらく問題はそれをどこまでじかくしているかにある。原理的な自己検証が不可欠なのはこのときである。」
言いたい事はわからんでもないが、こんなどうでも良いことをよくも書けるなーというのが自分が試験を受けて冷や汗をかきながら冷静に考えてることである。批評家なんて狭い分野で自分たちの職業のことを論ずる。せまくせまくてやってられないぜー。本屋に「批評家の最大内的危機勃発時きみはどうする?〜きみも原理的な自己検証が不可欠なのだ!」とか、こんな帯がついて平積みされても誰もかわねーぞ!って感じである。そもそも現代文なんてものは、本やコラムの「一部」を抜き出したもので、それに対して「筆者の言いたい事で正しいものを選べ」なんて問題をだされたって、わかる訳がない。だいたい、「一部」なんて何を根拠に選んでいるのかさっぱりわからないし、わかったら全部の文章なんてそもそも必要ないんじゃないかとさえも思う。筆者の言いたくないことだって一部しか読んでいたらわかんねーっちゅうの。しかーも、この試験では、この形態のわけのわからない文章が一部の推論にも出てくる。これに引っ掛けをつけるから、本当適正試験には困ったものである。ほぼ、今のところ見込みゼロに近い自分の愚痴でした。
ただ、一番困ったもんだは、センター試験を行ってる「独立行政法人 大学入試センター」そのものである。駒場の一等地に噴水なんかついた立派なビルの中に大学入試センターはある。あったりまえだわな。一年間何万人もの18歳頃の人間がセンター試験を一万円くらいだして受けるんだもんなー。ほんと楽に儲かるわなー。都内の一等地に噴水付き・大庭・テニスコート付きのビルが建てられるわけだ。